学生時代の一人暮らしは何かとお金に困ります

初めての一人暮らしで・・・

大学生になって一人暮らしを始める学生の方も多くいると思います。
私も、大学生になってから親元を離れ、一人暮らしを始めるようになりました。

この頃って、一人暮らしに凄い憧れを抱いていたので、実際出来るようになった時は本当に嬉しかったですね。まぁその理由も、親の監視がなく自由に遊べる!っていうのが最大の理由なんですが(^^)/

でも実際一人暮らしを始めると何かと大変な事ばかりで・・・。

今までは当たり前のようにしてもらっていた、食事に洗濯・掃除などは当然ながら全部自分でしないといけないですし、自由に遊べる、と言っても遊ぶにはお金が必要になってきます。

家賃や生活費は親から仕送りを貰っていたので必要最低限の生活は送っていくことが出来ましたが、決して多い額ではなかったので遊ぶお金が残るほどの余裕はありませんでしたね。

でも、学生時代はサークルの飲み会やコンパ、そして買い物とお金を使う事ばかり。さすがに遊びたいから仕送りを増やして、なんて親にも頼めません。

なので、学生のころはアルバイトをして自分で遊び代を稼ぐようにしていました。居酒屋にパチンコ屋、カラオケ店など色々なバイトを経験しましたね。

大学生活の4年間ほぼバイトをしていたような気がします。総額で言ったら結構稼いだような気もするんですが、見事に貯金額は0円でしたね(*_*)それぐらい遊びにお金を使っていたって事ですね。

酷い時は、借金してたぐらいですからね。(ココで…学生時代の借金

今思うと、勉強なんて一切していなかったような気が・・・(;^ω^)

でも、この時の経験は今でも活かされていると思います。仕事の大変さにも気付けましたし、お金の使い方も一人暮らしをして初めて分かったような気もします。

お金にも生活にも何かと困った学生生活でしたが、今思うといい経験だったな…って感じています。

短大に進学して

家の近くの自転車で通うことのできる短大に進学し、現在はこれまた家の近くの自転車で出勤できるところに就職をして、OLとして働いている27歳です(^^)/

どうして家の近くばかりかというと・・・まずは、短大を選んだ理由。それは、本当は大阪のスポーツマッサージ師の資格が取れる専門学校に行きたかったのですが、私の親は離婚をしており、女手一つで双子の姉と私を育ててもらっていました。

なので、裕福というか一般的な生活すらできておらず仕送りなんてできない。県内の短大に通ってほしいと母親から言われたからです。

この時点で、私のやりたいこと、なりたい職種もなくなり、勉強へのやる気は0。こう言ってはいけませんが、誰でも合格できるであろう短大に入学したというわけです。

姉はというと、県内の専門学校に進学をしました。医療事務という仕事をしたいという夢があった姉は、毎日勉強をし、資格を取るのに必死でしたね。卒業するときなんて履歴書に書ききれない程の資格を取得していたのには驚きました。

私の短大生活はというと・・・小学校のときからの友人と同じ短大に入学したのですぐに友達の輪は広がり、勉強よりも遊びが優先。

義務教育ではないので授業を欠席しても先生からそれほど注意を受けることもなく、年間で一つの授業で休むことのできる日数を計算して、休むことのできる日数すべて休んでいました。

休んで、カラオケに行ったり、ランチに行ったり、デートをしたりしていましたね(^^)

資格なんて、誰でも合格できるようなものしかなく、しかも3級のみ。母親から、せっかく短大に行ったのだから、簿記の検定くらい取って欲しいと言われたのですが、ちょっと遅めの反抗期なのか、自分のやりたかったことをやらせて貰えなかったへの不満なのか分かりませんが、全く聞く耳も持たず、毎日毎日遊び呆けていましたね。

遊ぶお金も今自由に使えるお金よりも断然使っていたと思います。
携帯代・保険料は母親が払い、家に帰るとご飯はあり、お弁当も作ってもらっていたので自分が使うお金は遊びだけ。

毎月一万円のお小遣いをもらっていましたが足りる訳もなく。短大に入学して半年後くらいから居酒屋でアルバイトを始めました。そこでの給料が3万円くらい。お小遣いと合わせて4万円。

普通の学生生活を送っていれば十分足りる額だとは思うのですが、なんせ毎日毎晩遊んでいたのですぐに無くなってしまい、こうゆうときは、父方の祖父母には孫が私と姉しかいなかったので、離婚をしてからもお金に困ったり、お小遣いが欲しい時は連絡しておいでと言ってくれていたのに甘えてよく連絡をしてお小遣いを貰っていましたね。

多い時ではひと月に3万円以上は貰っていたような・・・(‘_’)遊びながらも、なんとか最低限の必須科目の単位を取り、卒業できることに。

二年に上がった時から就職活動が始まるわけですが・・・まともな資格もなく、就職っていうことをそれほどまでに深く考えていなかった私は、その時まだ車を持っていなかったので、家から自転車で通える範囲の職場。

また、専門職なんてできるわけないから普通の事務員くらいでいいかな〜って軽い考え。履歴書を書くのも面倒とか思っていましたからね。

一社目は見事に落ち。二社目に選んだところは、噂で女性の多い職場だから人間関係がゴチャゴチャで人の入れ替わりも激しいと聞き。その時私は、入れ替わりの激しい職場なら内定を逆に貰いやすいんじゃなかって(笑)

本当にとりあえず就職ができればいいっていう考えでしたね。実際今働いているところが、その職場です(^^)/就職活動二社目にして合格したんです!!

高校に入るときは部活をするからという事で勉強をせずに受験をし合格。

短大に入るときも、高校の時の部活の監督が特待生の枠を取ってくれたので勉強もせず、なんとなく簡単に合格を貰い、就職の時も、周りの子は何社も何社も受けたり、勉強をそたりと必死な中、私はなんとなくで就職が決まり・・・

ものすごく恵まれていたのか、上を目指さなかったから簡単に決まっていったのか分かりませんが、それほどまでの努力っていうのをしてきませんでした。

今は、人間関係が悪いって噂だった職場で働いていますが、全くそんなことはなく、みんな可愛がってくれていますし、経理という仕事を日々勉強しながら働いています。

入社をして6年。自分のやり方で、効率よく仕事ができるようになり、今は仕事がとても楽しいですね。今までで一番一生懸命に取り組んでいると思います(笑)

妊娠後期の苦労話~逆子&親友の結婚式~妊婦の結婚式はレンタルドレスで問題なし!

妊娠中に困ったことが二つありました。
一つ目は、胎児が逆子だったことです。
妊娠8ヶ月を過ぎた頃、エコーで見ていると先生から「あれ逆子になっちゃってるね!!」と言われました。
私は逆子=帝王切開というイメージがあったのでお腹を切るのは怖い!!嫌だ!!何としてでも自然分娩がいいという気持ちがありさっそく看護師さんから逆子体操を教えてもらいました。
そして帰ってから逆子についてネットで検索し調べました。逆子になるのは冷え性の人に多い、胎児は温かいところに頭を向けるなどなどたくさん情報があったためとりあえずお腹を温めることから始めました。

また私は9㎝の子宮筋腫があったため医者いわく筋腫が邪魔なんだろうね、ということでした。
なんとかならないだろうかと毎日逆子体操を1日2回朝・晩一回30分行いお腹も冷えないように気をつけました。
検診のたびにドキドキしていましたがなかなか治らず…

それどころか、上向きだった頭が横向きに(横位)なっていました。やっぱり筋腫が邪魔なんだろうね、避けるようにして上手に横になってるねとお医者さん。
このままだと帝王切開だと言われそろそろ覚悟もしておかないといけないなぁと私も半分諦めていました。
それでも自然分娩がいいと思っていたら、先生が「赤ちゃんはもう産まれても問題ない大きさまで成長してるから手技で逆子を治してくれる上手な先生がいる総合病院に紹介状書きましょうか?」と言ってくれました。
ただその刺激で陣痛へと繋がりそのままお産になることがあったり緊急帝王切開になることもあると言われ内心どうしようと悩みました。1週間後もまだ逆子だったら紹介状書きましょうということでその日は帰りました。

1週間後…覚悟を決めて検診へ。
逆子体操しても戻った感じもしないしやっぱり総合病院かぁ…と少し気分的に落ち込みぎみで診察室へ。
先生がエコーで診察、私はドキドキしていたら「あれ???戻ってる」と先生ビックリした様子!!
私は「え??戻った??なにが????」よくわかりませんでした。逆子が治っていました!!先生も紹介状を用意してくれていたようで少し申し訳なく感じましたがとても安心したのを覚えています。ギリギリの月数でも赤ちゃんは頭を下向きに変えてくれたので逆子で悩んでいる人にまだ期待できると感じてほしいです。

二つ目は、臨月にさしかかるころに親友の結婚式があったことです。体調面も心配だったのですが、親友なので絶対に行きたかったのです。
今までのドレスが着れるわけもなく、かといってまた一式買いなおすのも・・・買いに行くのもしんどいし・・・
そこでネットでレンタルすることに決めました。
マタニティ用のパーティードレスのレンタル通販サイト⇒https://rentalmaternity.com/

種類もたくさんあって選べたのでよかったですよ。

妊娠中は色々なトラブルがありますが、挫けず乗り越えてください。